つくば市議会議員 金子かずお
週刊・新社会つくば 金子さん町を歩く 議会報告

週刊・新社会つくば
2014年12月16日 第918号 発行:新社会党つくば支部

小田城跡発掘調査が行われる


 定期的に開催されてきている小田城跡の発掘調査の現地説明会が12月6日に午前と午後にわたり今年も開催されましたので参加をしてきましたこのひは真壁城跡でも現地説明会が開催されており、二か所の見学を計画した方も大勢いた模様であります。

土塁跡とそれに伴う溝跡が確認される

 小田城跡の保護を進めるために土地を購入し確認調査を行ってきていますが、今回の調査対象地は、本丸の南西に位置する曲輪とその周辺部を対象に進め、曲輪の南端では土塁跡とそれに伴う溝跡が確認され、曲輪の南端を取り囲むように土塁と溝が配置されていることは明らかになった。

土塁でつくりかえの痕跡を発見する

 また曲輪の東端に大きな土塁が配置され、現在も良好で一部が残存している。この土塁は戦国時代に拡張工事が行われていた事が明らかになり、土塁を積み足す大がかりなつくりかえが行われたと考えられ、しっかりとした防御を固めていた様子が伺えると資料にある。

新たな土塁跡を発見する

 曲輪の南端では現況や絵図ではわからない土塁跡を発見した。その土塁跡は曲輪南東部を東西に分割するようにあり、幅は15㍍以上で東南端に溝跡が確認された。

 深さの異なる障子堀跡を確認する曲輪の南端に位置する堀跡が障子堀であることが判明し、規模は南北に約14㍍、南半分は浅く、北半分は深いつくりとなっており、格子状の畝が発見されました。畝は堀跡北側でも確認され急斜面で堀底から1メートル以上の高さがあり、敵の侵入に備えた様子が読み取れると解説がある。

 教育委員会では、今回の確認調査でも多くの事を明らかにしてくれた。広い曲輪と思われていた平坦地で、新たに土塁跡を発見したことは、小田城南側の構造を考え直す大きな発見と言えます。また、本丸から離れた区画である今回の調査地において、土塁のつくりかえや障子堀の存在を確認できたことは、当時の小田城が隅々にまで大規模な工事行なって防御を固めていた様子を教えてくれるもので、戦国時代末に小田城が直面していた緊迫した状況を伝えるものです。と論じている。




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