つくば市議会議員 金子かずお
週刊・新社会つくば 金子さん町を歩く 議会報告

週刊・新社会つくば
2018年12月12日 第1,054号 発行:新社会党つくば支部

12月議会への意見書は4件


 市民の声や要望を政策に生かす手続きとして請願行為があります。請願とは、国民に認められた憲法上(第16条)の権利の一つで、国または地方公共団体の機関に対して意見や希望を述べることを言い、その手続等は請願法によります。

 また、地方議会に対する請願は、地方自治法及び各議会の会議規則に規定がされており、提出には紹介議員を必要とします。

 提出された請願は、所管常任委員会に審査を付託し、その審査の結果を本会議に報告し、議会としての採択、不採択の決定をします。

 採択した請願は、市長その他の執行機関に送付するに当たって、議会から処理の経過及び結果の報告を請求することができ、議会、執行機関双方に実現への努力が要請されます。

 12月議会には4件の請願書が提出されています。以下に提出の請願書を紹介します。

  1. 国民健康保険都道府県単位化に伴い、つくば市国民健康保険税の値上げにつながる施策をしないことを求める請願書
  2. 所得税法第56条の見直しの意見書の提出を求める意見書
  3. 核兵器禁止条例の日本政府の署名と批准に関する請願書
  4. みどりの学園の児童が放課後・休暇中等に安全に過ごせる居場所の整備と、保護者の実情に即した環境の早期整備への請願 
(下の意見書・請願の議決状況に続く)


東海第2原発 延長申請を強行


 日本原子力発電株式会社(原電)が11月24日、ついに東海第2原発の延長申請を強行しました。

 東海第2原発は、来年11月に運転開始以来40年を迎える老朽原発であり、原子炉のひび割れの危険性が高く、火災に弱いケーブルが4割を占め、地震津波による炉心損傷確率が最も高いなど、事故が起きる危険性がひときわ高い原発です。しかも首都圏に唯一存在し、30㌔圏内に約100万人が住み、事故が起きた場合の避難する計画も立てられない、被害の大きさは全国最大級になる原発です。

 県内53団体が賛同団体となり東海第二原発の運転延長申請に対する抗議を日本原電茨城事務所に24日に申し入れました。


全国市議会の請願・意見書の決議状況


 全国市議会議長会が発行している「市議旬報」によると8月から10月までに全国の市議会に提出され審議した請願・意見書・議決は意見書845件、決議95件が可決されたとしています。

 特に多いのが、「道路整備に係る補助率などのかさ上げ措置の継続」で155件なり、これは道理整備事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律により29年度末までの時限措置とされている補助率のかさ上げを30年度以降も継続をするよう求めたものであります。

 次に「全国森林環税の創設が119件、また3番目に多いのが「北朝鮮による弾道ミサイル発射・核実験に対する抗議」の意見書が28件で決議が62件で合わせて90件となっています。この意見書は・決議は2月から9月までにも多くて提出され採択されています。4番目には義務教育費の国庫負担の制度の堅持と負担割合の復元を求めるものとが57件で双方半数近くを占めている。10番目には核兵器禁止条約の日本政府の署名と批准に関する意見書が25件となっています。

 12月のつくば市議会にも「核兵器禁止条約の日本政府の署名と批准に関する意見書」が提出され市民経済委員会で審議が行われました。請願や陳情は市民の声であります。地域の生活から国の平和まで幅の広い声を政治に生かしていく大切な制度であります。


29年度小田城跡発掘調査が進む


新たに本丸外の西側に土塁後を発見

 小田城は小田氏の居城として知られています。鎌倉時代に小田氏の祖となった八田知家によって築かれた城で、戦国時代には15代当主である小田氏治が佐竹氏や北条氏、そして上杉謙信らと抗争を繰り返し、激しい争奪戦が繰り広げられています。氏治は城を何度も奪われ、そのたびに奪回しましたが、「手這坂の戦い」で佐竹氏に敗れて以降は、佐竹氏の所領となりました。
慶長7年(1602年)に佐竹氏の秋田移封に伴って廃城となりました。付近にある龍勝寺の山門は小田城の城門が移築されたものと伝わっています。小田城は建久3年(1192年)八田知家によって築城された。筑波山に続く宝筺山(ほうきょうざん)、俗に小田山と呼ばれている南麓の地にあり、約1キロ四方に及び、四重の土塁と四重の堀をめぐらした大規模な城であった。

 つくば市の小田集落の全域は昔の城跡である。小田城は北畠親房の『神皇正統記』起稿の地として有名であり、1935年6月文都省の史跡指定を受けている。つくば市では2009年度から中世の小田城を体感できる歴史ひろばとして整備するため工事を行ない、現在は本丸跡地を歴史公園に整備して「小田城跡歴史広場」が開園している。




(c) Kaneko Kazuo 2009