つくば市議会議員 金子かずお
週刊・新社会つくば 金子さん町を歩く 議会報告

週刊・新社会つくば
2021年7月6日 第1,214号 発行:新社会党つくば支部

緊急討論
つくばセンター広場にエスカレーターは必要か

 つくばセンタービル(吾妻)のリニューアル構想でつくばセンター広場にエスカレーター2基を建設する計画がある。
この程、つくばセンター研究会による緊急討論会「つくばセンター広場にエスカレーターは必要か」のシンポジウムが開催された。
つくばセンタービルはプリツカー賞を受賞した磯崎新氏のデザインした建築物であります。つくばセンタービルリニューアル構想について金子議員が3月議会で一般質問をしていますので紹介します。

つくばセンタービル周辺のリニューアルについて@


議長

 金子議員より一般質問に関する資料配付の申出がありましたので、これを許可し、各机上に配付しておきました。


質問・金子かずお議員

 最初に、つくばセンタービル周辺のリニューアルについて伺いたいと思います。

 つくばセンタービルのリニューアルが始まろうとしています。
1988年1月31日に筑波町がつくば市に編入合併され、2002年11月1日には茎崎町が編入合併されて、今日を迎えます。
今日まで大きな改修などなく、つくば市の中心市街地として、多くの皆さんと共に歩んできた地域と思います。

 この建物は”磯崎 新さん”の作品であり、1988年7月に発行された「世界画報」のつくば市特集の記事の中で、つくばエキスポセンターやつくばセンタービルを中心に、都市情報や文化芸術、最新情報の発信地として注目を集める複合建設物として紹介されているものを机上の上に配付しておきましたので、御参考にしていただきたいと思います。

 ”磯崎 新さん”は、2019年に建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞しています。
プリツカー賞は、アメリカのホテルチェーン、ハイアッホテルアンドリゾートのオーナーであるプリツカー一族が運営するハイアット財団から、建築家に対して授与される賞であります。
先ほどもお話をしましたが、本日皆様の机上の上に資料として配付したものは、つくばセンタービル、新都市のシンボルとして紹介されているものであります。

 さて、質問に入りますが、1983年にはつくばセンタービル内に、茨城県によりインフォメーションセンターがオープンされ、途中から市に移管されてきております。
現在、当初の利用とは変わってきておりますが、これまでの経過を含め、現状の活用について伺いたいと思います。


答弁・都市計画部長

 つくばセンタービルは、筑波研究学園都市建設初期の都市生活や、都市活動に必要な機能を導入する施設として、また都市の中心を形成する中核的な施設として、1983年に建設されました。
設計はプロポーザル方式で行われ、審査の結果、磯崎新アトリエが選定されました。

 開業時には、市が所有する施設としてノバホール、吾妻交流センター、センター広場、飲食店が入居するアイアイモール、県の施設として、まちづくりを紹介するつくばインフォメーションセンター、民間施設としてホテル、オフィスが入居しました。
つくばインフォメーションセンターについては、2009年に県から市に譲与され、イノベーションの創出を目的とした、つくばイノベーションプラザとして運営しています。

 つくばセンタービルが竣工してから38年が経過しており、周辺では、大規模商業施設やつくばエクスプレスの開業等、社会情勢が大きく変化しています。また、各公共施設の利用者やイベント団体などからは、動線が分かりにくいなどの多くの課題が挙げられています。
そのようなことから、今回、持続可能都市の拠点となるシェアガーデンを目指し、新たな市民生活活動拠点や市民窓口を設置するなど、市民サービスの向上を図るリニューアルを実施する予定です。


質問・金子かずお議員

 先ほど資料が皆さんの机上の上にありますというお話をさせていただきましたけれども、ここにあります本の中に、筑波研究学園都市として大きく紹介をされております。
これは、特集を組んだものだと思いますので、相当前のやつですから、皆さんのお手元にあるかどうかというのは分かりませんけれども、私の書棚の中にあったものを見つけて、今日一部をコピーしてお手元にお渡ししました。エキスポセンターから始まりまして、松見公園とか、様々なものが紹介をされておりました。
特に、皆さんのお手元に紹介したものは、これから手入れをして、その周辺にエスカレーターを設置しようという階段の付近の写真が掲載されているかと思いますので、参考にしていただきたいと思います。

 当時の住宅都市整備公団が、筑波研究学園都市を広報している諸雑誌で紹介されております。
年表には県の施設として、つくばセンタービル内に1983年7月21日にインフォメーションセンターがオープンしたと紹介されています。
また、1989年、先ほど資料として本の中から一部分のところを引用しているというお話をしましたけれども、中心市街地のまちづくりに取り組もうとしている状況の中、つくば市を思い切りサイエンスつくばの旅として、多くの紙面を割いて紹介がされていたわけであります。

 1961年にはつくば市に官庁移転が閣議決定され、このような人工的に建築された都市を楽しみながら、理解して歴史と文化を支え合ってきたつくば市を伝えて育てていく人や場所が必要だと考えるが、それについていかがか、お尋ねしたいと思います。


答弁・都市計画部長

 つくばセンタービルのオープン当初に入居していたつくばインフォメーションセンターは、筑波研究学園都市に立地する研究機関の紹介や建設の経緯、地域の情報を発信する場として運営されてきました。
研究学園都市は、世界的な科学技術拠点都市として世界から注目されていることから、まちづくりの経緯や取組、各機関の紹介などを発信することは重要だと認識しています。
発信の手法としては、施設を設置するだけではなく、インターネット等も考えられることから、適切な手法を検討していきます。

(次号に続く)




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